はじめに|酷暑が終わり、年末の足音が近づく
酷暑がようやく終わり、気づけば年末の足音が聞こえてきます。
仕事や家庭の慌ただしさに追われ、ふと気づけば心がすり減っている。
この時期は、実は自殺が増える季節でもあります。
「自分なんて」「もう無理だ」と思うことがあっても不思議ではありません。
でも、ここで少し立ち止まって考えてみませんか。
「人間はもともと善い存在なのか、それとも悪い存在なのか」
この古くて単純な問いが、あなたの心を少し軽くしてくれるかもしれません。
第1章|性善説と性悪説――人の本質とは
性善説(孟子)
人は本来「善」であると、孟子は説きました。
赤ん坊が井戸に落ちそうになれば、誰でも助けようとする。
それは見返りではなく、生まれ持った優しさ。
孟子は言いました。
「人の性は善なり。その善を失うは、環境と教育による。」
つまり、人は環境に歪められても、根っこには“思いやり”があるのです。
性悪説(荀子)
一方の荀子は、「人は放っておけば利己的になる」と考えました。
だからこそ、教育や道徳が必要だと説いたのです。
人は弱くても、学びと努力で善へ向かえる。
どちらの説も、人を責めるものではありません。
どちらも「どうすればより良く生きられるか」を探した思想です。

第2章|善と悪は“同じ場所”にある
私たちはSNSや仕事の中で、
「自分はダメだ」と思い込んでしまうことがあります。
でも、善と悪は正反対の場所にあるわけではありません。
善悪は表裏一体
嫉妬の裏には愛情が、怒りの奥には正義が、
羨望の影には努力したいという気持ちがあります。
“悪い感情”の中にも、人間らしい温かさが潜んでいるのです。
それを否定せず受け入れることが、「自分を責めない哲学」です。
第3章|思い詰めたときこそ、“人を信じる練習”を
心が限界に近づくと、世界が敵に見えるものです。
「誰もわかってくれない」「自分なんていなくてもいい」――。
けれど、人は一度壊れても、他者とのつながりの中で修復できる存在です。
性善説と性悪説に共通すること
荀子は「人は悪から出発するが、学びで善に向かう」と言い、
孟子は「人は本来、思いやりの心を持つ」と語りました。
二人の結論は違っても、共通するのは――
人は他者と共に成長するということ。
だから、もし今、誰も信じられなくなっているなら、
せめて「信じようとする自分」だけは信じてあげてください。
それが、心を守る最初の一歩です。
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第4章|“許す”という哲学
哲学は人を許す知恵
哲学は、難しい理屈ではなく、人間を許す知恵です。
性善説は「人は優しい」と教え、
性悪説は「人は弱いが変われる」と教える。
どちらも人を見捨ててはいません。
弱さも感情も「人間らしさ」
怒ってもいい。
嫉妬してもいい。
泣いても、逃げてもいい。
それは、あなたがまだ“人間である証拠”です。
苦しみの中にも、ちゃんと“善の種”が息づいています。
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まとめ|人を信じることは、自分を信じること
年末の街は明るいネオンに包まれながら、
どこか寂しさを含んでいます。
でも、あなたの中には、誰かを想う優しさがあります。
それはどんなに小さくても、確かな“光”です。
人は善にも悪にもなれる。
けれど、他者と関わることで、再び善へ向かう力を取り戻せる。
今夜だけは、自分を責めずに、
「人を信じる」ことを、もう一度信じてみてください。
