~ウチハブッキョウダトオモウケド、ソノホカハマッタクシラナイヨネ〜
本日は曹洞宗です。
曹洞宗も私たち日本人文化と密接に関わる事例がいくつもあります。

1. 曹洞宗とは?
曹洞宗(そうとうしゅう)は、鎌倉時代に道元禅師(どうげんぜんじ)によって日本に伝えられた禅宗の一派です。中国の禅宗「曹洞派」を元に、道元禅師がその教えを日本で広めました。禅宗の中では特に「只管打坐(しかんたざ)」という、ひたすら座禅を組む修行を大切にしています。
信仰人口: 国内の主要宗派の一つで、信者数も多い。
開祖: 道元(1200年〜1253年)
主要寺院:
永平寺(福井県)
總持寺(神奈川県)
2. 曹洞宗の特徴
① 只管打坐(しかんたざ)
曹洞宗の修行の中心は「只管打坐」、すなわち何も求めず、ただひたすら座禅をすることです。悟りを目指すのではなく、「今この瞬間」に集中することが大切とされています。
② 修行と日常生活の一体化
曹洞宗では、修行と日常生活を分けて考えません。料理をする、掃除をする、呼吸をする――すべてが修行の一部です。この教えは「一つの行動に全力で取り組む」現代のマインドフルネスの考え方にも通じます。
③ 道元禅師の教え
道元禅師は「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」という仏教哲学書を著し、人生や宇宙の本質を探求しました。「現在を生きること」「無駄な欲を捨てること」を説いたその思想は、現代社会でも共感を呼びます。
3. 曹洞宗の教えが現代に役立つ理由
現代社会では、ストレスや情報過多が問題となっています。曹洞宗の教えは、こうした問題に対する解決策として注目されています。
- ストレス軽減: 只管打坐を通じて心をリセット。
- 集中力向上: 一つの行動に全力を尽くす「一心不乱」の精神。
- 心の安定: 過去や未来を気にせず「今」を大切にする教え。
4. 曹洞宗の体験
曹洞宗では、誰でも座禅体験ができる寺院が多く存在します。初心者向けの指導も行われているため、初めての方でも安心です。
- 体験可能な寺院例:
- 永平寺(福井県)
- 總持寺(神奈川県)
- 各地の曹洞宗寺院(地域によって開催日が異なります)
座禅の基本の流れ
- 背筋を伸ばして座る。
- 呼吸を整え、ゆっくりと鼻で吸い、吐く。
- 雑念が浮かんだら気にせず、ただ呼吸に集中する。
5. 曹洞宗の歴史
道元禅師の生涯
- 1200年: 現在の京都に生まれる。
- 1223年: 中国に渡り、曹洞宗の教えを学ぶ。
- 1244年: 越前(現在の福井県)に永平寺を開く。
- 1253年: 入滅(亡くなる)。その教えは弟子たちによって引き継がれる。
永平寺と總持寺
永平寺は、道元禅師が創設した曹洞宗の大本山です。現在も多くの僧侶が修行する中心的な場所となっています。一方、總持寺はその教えを広めるためのもう一つの大本山です。
6. 曹洞宗の文化的影響
曹洞宗の教えは、日本文化にも大きな影響を与えました。
- 茶道: 禅の精神を基盤とする日本の伝統芸術。
- 武道: 精神統一や平常心を重視する考え方。
- 建築: シンプルで落ち着いた禅寺の建築スタイル。
◎曹洞宗は、座禅を通じて心を整え、日常を豊かにする教えを提供しているとのことです。
座禅をしてことあるでしょうか!?私はあります。一回きりでして、それによって何が変わって何が変わらなかったかはわかりませんが、上記に書いたような意味合いの目的がある事についてはよく理解できました。
座禅をする事により神経を集中させるやり方を体で覚えていると、座禅をするかしないか関係なくそういうモードになれるのであれば物事の困難にも前向きに臨めるような気がします。日本人のDNAに刻まれているような気がします。
「悟りってこう言う事なのかな?」と思いましたが違うと嫌なので、調べました。
曹洞宗における悟りと因果関係については、特に「只管打坐(しかんたざ)」という座禅の実践を中心に深い哲学が展開されています。一般的に仏教では、悟り(さとり)は因果律(すべての出来事には原因と結果があるという法則)に従う存在として説明されます。しかし、曹洞宗ではこの因果律にとらわれすぎることを避け、悟りを日常の実践の中で捉える独自の視点を持っています。

曹洞宗における「悟り」と「因果」の捉え方
- 悟りとは「今ここ」にあるもの
- 曹洞宗では、悟りを「特別な瞬間」や「何かを達成すること」として捉えるのではなく、日常生活そのものや座禅の中にすでに含まれていると考えます。
- 道元禅師の言葉に「修証一等(しゅしょういっとう)」があります。これは、修行(行動)と悟り(結果)は別物ではなく、同じものであるという意味です。
- 修行=因でありながら**修行=結果(悟り)**でもあるという円環的な理解です。
- 因果律にとらわれすぎない
- 一般的な因果律では、「正しい行いを積むこと(因)が悟りを得るための条件(果)になる」と考えられがちです。しかし、曹洞宗では因果の結果に執着することをむしろ問題視します。
- 道元禅師は、「悟りを求める心」がすでに悟りから遠ざかる原因になると説いています。なぜなら、結果を追い求めることで「今ここ」を見失うからです。

仏教において悟りがあり、それぞれの宗派によって哲学、捉え方が違うようです。いづれにせよこのストレス社会との向き合い方の一つの解となるのではないでしょうか!?
本日は曹洞宗について述べてみました。
今後ともよろしくお願いします。