【刑務所に棺を納品する話|葬儀社の知られざる仕事と現場のリアル体験】

葬式

刑務所での納品という非日常

みなさんは、刑務所に行ったことがありますか? おそらく多くの方は「ない」という答えになると思いますし、行ったことがあったとしても面会や施設見学といった機会ではないでしょうか。実は私は、葬儀社に勤務していたときに、刑務所や医療刑務所に何度か納品に行く機会がありました。納品するのは「棺」です。

受刑者が亡くなられた場合でも、当然ながら遺体は適切に処置され、納棺・火葬が必要になります。そのため、刑務所や医療刑務所と契約している葬儀社が遺体の搬送や納棺を担うのです。

この記事では、「刑務所に棺を納品する」という葬儀業界でもあまり語られない仕事について、私自身の体験をもとに紹介していきます。


厳重なセキュリティチェックの流れ

納品当日、まず車で刑務所の正門に向かいます。門の手前で止められ、車を降りて受付へ。ここで顔写真付きの身分証明書を提示し、事前の届け出と照合されます。その間、車は職員によって「探知機」で下回りやトランクまで入念にチェックされます。少しでも不審な点があれば、中に入ることはできません。

問題がなければ、いよいよ大きな門が開くのを待ちます。中から職員が監視カメラや肉眼で確認を行い、合図があってから中へ。指定された場所に車をつけると、担当の刑務官が出迎えてくれます。門が閉まる独特の重々しい音を聞くと、外の世界から切り離される感覚を強く覚えます。


棺の納品と受刑者の視線

棺は指示された部屋まで慎重に運びます。用途が用途だけに、ぞんざいに扱うわけにはいきません。担当官の指示に従い、指定の場所に納品を済ませます。

この搬入中、どうしても目に入ってしまうのが敷地内で活動している受刑者たちの姿です。彼らは筋トレをしていたり、運動をしていたり、仲間と談笑していることもあります。こちらが意識しすぎてしまうのかもしれませんが、どうしても視線が気になってしまうんですよね。「顔を覚えられたら嫌だな」と思ってしまうこともあり、自然と緊張してしまいます。

しかし、こういった活動は決して異様なものではなく、彼らの日々の生活の一部。心の中で偏見を抱かないように意識しつつ、自分の業務を粛々と進めるよう努めました。


医療刑務所の特徴と印象

医療刑務所では、体調や精神面に問題を抱えた受刑者が多く収容されています。そのため、看護師や医師、リハビリスタッフなど医療従事者の姿が目立ちます。施設内は病院のように清潔で、静かな空気が流れていました。

通常の刑務所とはまた違った緊張感があり、特に棺を扱う現場では空気がより張り詰めていたように思います。医療スタッフが横を通る際に、自然と一歩下がって道を譲るなど、どこか病院のようなマナーが感じられました。受刑者の中には、車いすを利用している方や包帯を巻いている方もおり、見るからに体調が優れないとわかる状況でした。


フレンドリーさと慣れの中にある緊張

何度か通ううちに、職員の方々とも少しずつ顔見知りになり、「暑い中ご苦労さまです」など声をかけられるようになりました。葬儀社として定期的に納品をしていることもあり、現場の雰囲気にも徐々に慣れてきます。

しかし、慣れてきたとはいえ、刑務所という環境には常にピリッとした緊張感があります。ふとした瞬間に気が引き締まる、そんな空気です。施設を出るときに感じる安堵感は、普通の場所での納品とはまったく異なるものでした。


スマホの電波が届かない理由

刑務所内に入って驚いたのが、スマートフォンの電波が完全に圏外になることでした。施設の外では問題なく使えていたのに、門をくぐった瞬間に電波が途切れる。

おそらく、施設内では通信を遮断するための電波妨害が行われているのでしょう。受刑者の情報管理や外部との不正通信を防ぐためには、当然の措置だと思いますが、実際に体験すると「これが本当に別世界なんだ」と実感します。自分の携帯電話を当たり前に使える環境に、いかに慣れきっているかを再認識する機会でもありました。


退場時の流れと安心感

納品を終えると、来たときと同様の手続きをして退場します。再び車両の確認、身分証明書のチェック、門が開くまでの待機。ようやく外に出ると、不思議と安堵の気持ちが湧いてきます。

セキュリティは厳重で当然ですが、やはり一般人にとって刑務所という空間は非日常そのもの。重い鉄門が再び開き、外の空気を吸った瞬間にほっと息をつく自分に気づくと、どこか複雑な心境になるものです。自由というものが、いかに大きな価値を持っているかを改めて思い知らされます。


日常に潜む非日常を見つめて

今回ご紹介したような、「刑務所に棺を納品する」という業務は、葬儀社の仕事の中でもなかなか語られることのない部分です。しかし、どのような事情であれ、亡くなった方を敬意を持って見送ることは、すべての人に共通するべきだと私は思います。

関東の刑務所、そして郊外の医療刑務所で感じたこと。それは、「施設の中にも確かに人間の営みがある」ということでした。受刑者が筋トレや運動をしている光景も、決して異様なものではなく、健康を保つための当たり前の日課なのです。職員の方とのやりとりにも、日常的なコミュニケーションが存在し、その中には確かな人間味を感じました。

葬儀社の立場としては、受刑者を含め、亡くなった方をきちんと送り出すための最後のステップを担うことになります。重い空気感の中でも、人としての尊厳を守るために、心を込めて対応するのが自分たちの務めだと感じました。


最後に

「刑務所に出入りする葬儀社」というと、確かに少し特殊に聞こえるかもしれません。しかし、これもまた社会の一部であり、多様なかたちで人の生と死に関わる業務のひとつだと思います。通常の生活ではまず足を踏み入れない場所であっても、そこにはそこでの“当たり前”があるのです。

もし、一般公開や見学会などで刑務所を訪れる機会があれば、今回お話ししたような「非日常の裏側」を思い出してみてください。厳格なセキュリティや独特の空気感の中にも、人間らしい営みや配慮が息づいていることを感じ取れるはずです。


体験を通して感じたこと

刑務所のような閉鎖的な施設に足を踏み入れると、それまで当たり前だと感じていた自由の価値や、人が生きていく上でのルールの大切さを強く実感します。そこで目にする光景や人々の振る舞いからは、社会や生命に対する多面的な視点が得られ、葬儀という仕事が果たす役割の重みを改めて噛みしめる機会にもなりました。普段はなかなか意識しない場所にこそ、“社会の縮図”が存在しているのだと感じます。

これからも、こうした視点や体験を通じて、社会の一端を支える仕事の意味を考え続けていきたいと思います。

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