40代の離婚と転職体験談:新たな道を見つけた私の選択

体験ブログ

〜ジンセイノテンキッテナンカイクルンダロウね〜

私の話を少し聞いてください。そして読んでください。たまには愚痴を吐きたくなる時もあるんです。


1. 技術職からの転落、夫婦関係の崩壊

私は日本人が成人するよりも長い時間、技術職を続けてきました。しかし、その仕事が次第にうまくいかなくなり、それと対照的に妻の仕事はどんどん順調に進みました。そして、それに比例するかのように私への態度が冷たくなり、夫婦関係は徐々に悪化しました。

お互いの主張が強くなり、言い合いというより冷戦のような状態に。子どもの意思を尊重しながらも、ついには「離婚」という坂道を転げ落ちる結果となりました。
このあたりの詳細は今回は省略しますが、その後の人生に訪れた転機について、どう決断したかを記してみたいと思います。


2. 離婚、そして転職

離婚

さまざまな経緯を経て、ついに離婚に至りました。それに伴い、養育費の支払い、そしてコロナ禍で売上が落ちている自営業のお店の立て直しなど、多くの課題に直面しました。

振り返れば、私は家族のために5年間、毎朝4時に起き、5時までに朝ごはんを作り、必要があれば昼ごはんやお弁当も準備してきました。子どもを起こし、学校の準備を手伝い、時間が合えば学校の前まで送る。1日も欠かさず続けてきたという自負があります。
これは私の母がしてくれたことを自然と受け継ぎ、子どもたちにも伝えたかったからです。

しかし、それでも夫婦関係は修復できませんでした。妻の限界を感じたのか、弁護士を立てられ、離婚を前提とした別居が始まりました。その後、離婚調停を経て、私は養育費を支払いながらも、子どもたちと会うための道を模索することになりました。

転職活動のスタート

離婚後、自営業の立て直しだけでは家計が立ち行かず、私は40代半ばにして転職活動を始めることにしました。前職の経験がほぼ生きない状況で、給料が良く、やりがいを感じられる仕事を探すことに。いくつかの転職サイトに登録し、友人から勧められた葬儀社を検討しました。

いざ履歴書を書いて面接に臨んでも、「本当に意味があるのか?」と思いながらでした。まずは一番給料が高い葬儀社の面接を受けましたが、結果的にライフスタイルに合わず丁重にお断り。他の会社も同様でした。

最後に、少し視点を変えて受けた会社が、自分にとって感覚的にも合うと感じる場所で、そこにお世話になることに決めました。給料は最低時給に近かったものの、追い詰められた状況では大きな希望となりました。


3. 新しいステージへ

その葬儀社は、準備から葬儀、アフターケアまでをトータルで行う会社でした。最初は先輩の補助的な業務が中心でしたが、徐々に一人で任される仕事も増えていきました。

心配していた年下の先輩との関係も、相手が非常に配慮してくれる方で、自然と良好な関係を築くことができました。年齢や立場を気にせず、敬意をもって接することができたのは幸運だったと思います。


4. 挑戦し続けることの大切さ

転職で成功するかどうかは、会社や人間関係との相性が大きいと思います。もし自分に合わない場合、決して無理をせず、次を探すのも選択肢の一つです。似たような職種はたくさんあります。自分に合う場所に出会えるまで、妥協せずに挑戦を続けましょう。


最後に

このブログを読んでくださった方へ。
私の経験が、同じように人生の転機に直面している方々の参考になれば幸いです。どんな状況でも、きっと新しい道は見つかるはずです。一歩一歩進んでいきましょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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