
海洋散骨の裏で行われている“闇の処分”
ある葬儀関係者は、こう語った。
「あれ、実際には“海に撒かれてない”こともあるんですよ。」
取材中に出たその一言に、私は耳を疑った。
海洋散骨——それは「自然に還す」「宗教に縛られない自由な供養」として注目を集めている。だが、その裏では、**制度の曖昧さを逆手に取った“闇の処分”**が横行しているというのだ。
💣【暴露】大手葬儀社の裏側──“売上金を転がす支配人”がいた現場

■ “その辺の川で済ませた”という衝撃の証言
業界内の関係者によれば、ある葬儀社が「海洋散骨プラン」として受注した案件を、実際には近隣の川や港付近で処理していたケースがあったという。
当然ながら遺族はその事実を知らない。渡された「散骨証明書」には、きれいな海の名前が印字されている。だが、それが本当にその海域かを確認する仕組みは存在しない。
散骨に関する法的なルールは驚くほどゆるく、監視・許可制度もない。
行政に届出をする義務もなければ、現場の確認も不要。
つまり——“チェックする人間が誰もいない”。

■ 「お金をかけたくない」心理が生む“無関心”
本来、海洋散骨は「自然への回帰」を願う理念的な葬送の形だ。
しかし近年は、「墓を建てるより安い」「管理がいらない」というコスト優先の動機で選ぶケースが圧倒的に増えている。
業者側もそれを見抜いている。
「どうせ遺族は現場を見に来ない」「証拠を求めない」——
そう考えた一部の葬儀社が、手抜き・偽装散骨へと傾いていく。
散骨証明書や写真は“体裁”として渡されるが、
それはほとんど自己申告の紙切れに過ぎない。
■ 制度の甘さが悪用される構造
現在の日本では、「節度をもって葬送の目的で行う限り、散骨は違法ではない」とされている。
だが、節度とは何か——その定義はどこにもない。
つまり、
- 散骨の場所も、
- 時間も、
- 方法も、
- 第三者の確認も、
**すべてが業者の“良心任せ”**ということになる。
もし業者が「面倒だから川でやった」と言っても、それを立証する手段はほぼない。
これが、制度の最大の“抜け穴”だ。
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■ 「自由な供養」が“野放しの自由”になっている
海洋散骨は本来、宗教や墓の形式にとらわれない自由な葬送の象徴である。
しかしその自由は、今や“野放し”の自由に近い。
遺族は「海に還した」と信じている。
だが、遺骨がどこへ流されたかを知る術はない。
それが現代日本の「海洋散骨」の実態だ。

■ 結論:ルールなき自由は、やがて信頼を失う
「自然に還す」という理念は美しい。
だがその裏で、業者のモラルと制度の隙間が悪用されている。
今、問われているのは「供養の自由」ではなく、
“供養の責任”を誰が取るのかということだ。
法が曖昧なままでは、この問題はますます深刻化する。
海に還るはずの魂が、“ただの処理”にされないように——
今こそ、葬送の原点を見直す時ではないだろうか。
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