わざと宗教新聞をもらってみた──無宗教の僕が見た“宗教の不毛な争い”

宗教・宗派

無宗教の僕が宗教新聞を読んで気づいた“宗教の不毛な争い”とは?**

玄関のインターホンが鳴って出てみると、突然「新聞を入れていっていいですか?」と言われた。
てっきり地域の広報かと思ったら、手渡されたのは“宗教新聞”。大きなチラシまでセットになっていて、どうやら宗教団体の人らしい。

ふだん宗教に縁のない僕でも、ここまで堂々と配られると逆に興味が湧く。
「一体どんな内容なんだろう?」
そんな軽いノリで読んでみたら、出てくるのは“敵対宗派への批判”と“自分たちだけが正しい”という主張。気づけば、宗教同士の争いのすごさに驚かされていた。

今回は、**無宗教の僕が実際に宗教新聞を読んで感じた“宗教の不毛な争い”**を、わかりやすくまとめてみる。


■1. もらった宗教新聞には、争いの気配があふれていた

今回受け取った宗教新聞には、ほぼ最初の数ページで他宗派への否定が目立った。
「○○宗は誤っている」
「本物の仏法は私たちだけ」
こういうフレーズが続き、読みながら「いやいや…こんなに正面から批判するの!?」と突っ込んでしまった。

宗教のチラシや新聞には共通する構造があって、

  • 他宗派の批判
  • 現代社会への危機感アピール
  • 自分たちの教えが“唯一の救い”として提示される
  • 最後に入会や活動への誘導がある

これが鉄板の流れになっているらしい。

無宗教の僕からすると、まるで政治のビラとか、業界同士の対立記事を読んでいるようで、「宗教の世界って、こんなに攻撃的なの?」と不思議な気持ちになる。

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■2. なぜ“同じ日蓮宗系”なのに争いが激しいのか

今回の新聞は日蓮系の宗教だったが、日蓮宗の世界はとくに“争いが激しい”ことで有名だ。
ざっくり言えば、

  • 日蓮正宗
  • 創価学会
  • 顕正会

この三者が、それぞれ「自分たちだけが正しい」と主張し、激しい対立を続けている。

しかし面白いことに、どれも“日蓮の教え”をベースにしている“同じ身内”なのだ。

これは宗教社会学でいう 「同根対立」 と呼ばれる現象で、
“ルーツが近いほど、逆に激しく争う”というもの。
キリスト教でも、同じ聖書を元にしながら解釈で対立して分裂を繰り返してきた歴史がある。

つまり、宗教の争いは“教えの違い”よりも、
「正統性をめぐるプライド」 の部分が大きい。


■3. 宗教新聞には“不毛な争いの構造”が詰まっていた

読んでいて感じたのは、宗教新聞そのものが“不毛な争いの縮図”になっているということだ。

◆① 他宗の否定から入る

新聞の冒頭で他宗派の批判が始まるのは、宗教世界では珍しくない。
これは相手を否定して「自分たちの正しさ」を際立たせるための手法で、逆にいうと、否定し続けないと組織が揺らぐ構造にも見える。

◆② 自分たち“だけ”が救いをもたらす

どの宗教も「うちが唯一の本物」と主張する。
しかし、第三者から見ると同じような構造に見えるのが面白い。
「結局みんな同じこと言ってるじゃん…」と思ってしまう。

◆③ 不安を煽り、教えを必要とさせる

災害、病気、社会の不安定さを例にして、
「だからこそ、今こそ信仰が必要」とつなげる。
宗教に限らず、マーケティングでもよくある手法だ。

こうした“対立構造+不安+救い”のパターンは非常にわかりやすく、
読み進めるほど「争いが終わらない理由」が透けて見える。

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■4. 無宗教の僕から見ると、争いはもっと俯瞰的に見える

宗教同士の争いを見て感じるのは、
「本来は人を救うための教えなのに、なぜこんなに争いが激しいのか?」
という疑問だ。

外側から見ていると、

  • 人間の“承認欲求”
  • 組織が大きくなると起きる“分裂”
  • 「本物でありたい」というプライド
    こうした心理が宗教対立の根っこにあるように見える。

宗教新聞を読むと、その争いが紙面にそのまま表れていて、
「もはや宗教間のバトルのレポートじゃん」と笑えてしまうところもあった。


■5. まとめ──宗教の争いは不毛。でも観察すると面白い

宗教間の争いは、ときに激しく、ときに泥沼化し、外から見れば不毛そのものだ。
しかし、宗教新聞を読んでみると、人間が組織を作ると必ず“対立の構造”が生まれるという深いテーマが見えてくる。

宗教は本来、人を救ったり、心を落ち着けたりするためのもの。
それなのに、同じ教えを掲げる者同士が争い続けるのは、やっぱりどこか不思議で、どこか人間らしい。

無宗教の僕にとっては、宗教新聞は「なるほど、こういう世界もあるんだ」と知るきっかけにもなったし、
距離を置いて読むぶんには単純に“社会の縮図を見る面白さ”も感じた。

宗教の争いは不毛だ。
でも、観察してみると意外と奥が深く、そしてちょっと笑える。
そんな視点で、これからもいろいろな宗教を俯瞰して見てみたいと思う。

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